Le samedi 1 mars
今日歯を磨いているときに気付いたんだけど、歯を磨いているのだけれど頭では別のことを考えていて、なんならその映像まで浮かんでいる。歯を見てはいるのだけれど見ていなくて、いつか歯を磨いている時に言われた意地悪な言葉なんかを思い出していて、相手の意地悪な顔まで浮かんでいたわけ。日常的な意地悪は生活に染みついていてその行為をするたびに思い出すから、なるべくしたりされたりしない方が良いに決まっているわね。と、そんなことが言いたいのではなくて、そんな風に今していることとは全然違う物語が浮かんでいることって結構あるでしょう。その物語は、仮に自分が体験したことだったとしても感情や元々の認識やその後の体験やなにやかにやが加わってもはや実際には別の物語になっていることが多いわね。だけど大抵の場合その物語を現実だと思い込んでいるじゃない。例えばその誰かが現実だと思っている物語を他の人に話したら、体験した本人が話しているのだからそれが現実だと思うのじゃないかしら。その人がまた違う人に伝えたら物語は更に変化する。最悪な場合他人が少し見ただけの誰かの物語を勝手に作って人に話すことだってあり得るわね。それが影響力のある人だったらどうでしょう、たちまち現実ではない物語を沢山の人が現実であると信じることになるわね。人間は(人間は…?)物語を大勢の間で共有するということが出来たからこんな風に繁栄するようになったのだと人類史の本で読んだことがある。だけどその共有された物語が果たして全て事実なのかは分からないのじゃないかしら。
それで私は何に気付いたかっていうと、大切なのは今ここにあるこの歯を見ること、この歯だけが現実だっていうことです。