Le lundi 10 février

 夕方、文具店で日記帳を買った。白い革に薔薇の模様が型押しされた表紙にとても惹かれた。線が引かれていない真っ白なノートもとても気に入っている。線を気にせずに文字が自由に書けるから。それにしても日記なんていうものを書くのは何十年ぶりかしら。何を書けば良いのかも忘れてしまったけれど、こうして何を書こうか考えているだけでも楽しい気分になるものね。例えば今日はとても寒い日で文具店から出た時の夕焼けが綺麗だったこと、そんなことはすぐに忘れてしまうけれど、いつかこの頁を開いた時にその時間を思い出すかもしれない。これは私の為の日記だけど、もしかして私が死んだ後に孫や誰かが読むかもしれないから開かずに棺に入れてもらうように頼んでおかないといけないわね。なんていう程たいそうなものでもないけれど、これから誰にも話していない秘密を書くかもしれないもの。そういえば誰にも話していない秘密というのは私が死んだら誰にも知られず消えてしまうのかしら。それはそれで清々しいけれど、その前に誰にも話していない秘密なんてあったかしら...?

今は午前一時、お風呂にも入ったし眠くなってきた。リアルな人生なんてそんなものね。ここには今生きているただのひとりの人間の(人間の...?)リアルな人生が記されるということだからたとえ読まれたとしてもそんなに面白くもないかもしれない。

その前に私は三日坊主だということを忘れないようにしないと。日記帳を買った嬉しさにすっかり陶酔してしまった。

Le mardi 11 février

壊れていたお風呂を直してもらった。業者さんも忙しい時期でなかなか来てもらえず長い間チョロチョロと頼りないシャワーで済ませていた。それはそれで慣れてしまったけれど、ほぼ二ヶ月ぶりにゆっくりとバスタブに浸かると温かさが身に染みた。というより温かいとはこういうことかと初めて知ったような気持ちになった。人間は(人間は…?)二ヶ月もあればあらゆる感覚を忘れてしまえるものなのだと驚いた。それにしても温かいとは幸せだと思った。そして幸せを感じると奥の方から底知れぬ感謝が湧き上がるものだ。感謝をしなさいなんてよく言うけれど、感謝は無理矢理作るものではなくて自然に湧き上がるものね。

できる限り沢山の人が自分の幸せを感じられますようにと、小さなバスタブから祈る。

 

追記:

 頭がふやけてしまうから、浸かりすぎには注意が必要。

Le mercredi 12 février

 今日は片付けを少し頑張って夕暮れ時にワインを飲んだ。こないだ息子が持ってきてくれた美味しいチーズを少し残しておいたのが正解だった。美味しいというのは本当に幸せだわ。人間が(人間が…?)すぐに感じられる最も身近な幸せじゃないかしら。結局のところ私にとってはこんな小さな幸せが一番大事だと思う。でも当たり前のことじゃないからね。いつこんな風に健康でいられなくなるか分からないし、それから小さな幸せを守る為に大きな目を持つのよと母がよく言っていた。今はその意味が本当によく分かる。ただそこに生まれたというだけで奪われてしまう自由もあるし、環境や社会と無関係で生きている人はいないもの。自分の小さな世界と大きな世界は全部繋がっているから、小さな幸せを守る為に大きな目を持つのよ。

母もこんな渋めのワインが好きだったわ。

Le jeudi 13 février

 本屋さんの店先にセールの本が並んでいて、昔からなぜなのか興味があって買うけれど読めなくて手放して...を何度も繰り返した本を見つけた。開いてみるとその頁の一行がすうっと入ってきて急に近づいたような気がした。何度読んでも読めなかった本がこの年になって読めるなんてことがあるかしら?だけど幾つになったって心の中は変わるから、遠かった言葉が近づくことだってきっとあるでしょうね。そう思いながら何度目か分からないその本を買った。なにしろセールになっていたし、ベスト・タイミングでこの本を読む時が訪れたのかもしれないわ。昔よりずっと目は疲れるけれどね......眠る前に頁を開くのがとても楽しみ

Le vendredi 14 février

 午後に恋人が訪ねて来た。昨日ガトーショコラを焼いておいたから、珈琲を淹れて一緒に食べて、来月の小旅行の話を少しして、風のように去って行った。また出張へ出掛けるのだって。あの人はいつも風みたい。もういい年なのだから少しは身体に気をつけてほしいなと思うけれど、元気に動けるうちはやりたいことをやる方が良いわね。

あの人が持って来てくれた薔薇を飾った。薔薇を一輪飾っただけで部屋が一気に華やかになった。

それにしてもなぜあの人は薔薇なんて持って来たのかしら?と考えていたら今日はバレンタインデーだった。ここに来る途中にお花屋さんで気づいてきっと慌てて買ったのね。一輪というところがなんだかあの人らしくて良いわ。一輪が素敵よ。なんでも良いけれど、お花を貰うのはやっぱり特別に嬉しい。

Le samedi 15 février

 久しぶりに刺繍をした。昔から裁縫の類は大の苦手だけれど、なぜなのかたまに無性にやってみたくなる。やはり上手く出来ないと楽しくないものだから大体のところ自分の得意なことが好きだということが多いけれど、苦手だからって好きなこともあるものね。ひと針ずつ無心になって刺す時間が良い。自分の過ごしている時間まで縫い込まれるようで不思議だわ。誰にあげるというわけでもないし下手でも良いことにしている。なにしろ向いていないといえば裏側に糸がとんでもなく絡まることも多くてまるで人生みたいだと思う。糸が絡まない人もきっといるわね。

本当はテーブルクロス一面に刺繍をするのが夢だけれど、私には小さなハンカチーフで精一杯。小さなハンカチに小さな薔薇の刺繍をするの。昨日貰ったあの薔薇を。

Le dimanche 16 février

 今日は友達と歩いている途中にとても面白いことがあって二人で腹が捩れる程(頭の層が剥がれる程)笑った。あんなに笑ったのは久しぶりだった。今思い出しても可笑しくなってくる。笑うって不思議だわ。猫も犬も鳥も笑わないし、生物の中で笑うのは人間だけ(人間だけ…? )なのかしら。それともみんな別の方法で笑っているのかしらね。それにしても何がそんなに面白かったのかが、全然思い出せないわ

Le lundi 17 février

 庭で猫の鳴き声がするので出てみると黒い猫がいた。近づいても逃げないどころか寄ってきたから思わず抱き上げてしまった。数年前に猫を亡くしてからというもの柔らかい猫毛が恋しくてたまらなかったから感触が懐かしくて涙が出た。

私の猫はすぐに怒るし攻撃するし、間違えて尻尾を踏めば仕返しされるし、一筋縄ではいかなかったけれど、可愛いところも沢山あった。寂しがりだけど甘え下手で、でも信頼を寄せてくれていた。特に最後の日々は何かが通じ合えたようで本当に幸せだった。その頃を思い出すと今でも泣いてしまうわ。悲しいのだけど悲しいというのじゃなくて、寂しいけれど寂しいというのでもなくて、言葉では表せない感情というのがある。そもそも感情を分類なんてするものじゃないわね。

猫はすぐに行ってしまった。攻撃性のかけらもないし私の猫とは全然違っていた。また来るかしら。

Le mardi 18 février

 用事で少し遠くの街へ行って休憩にカフェに寄った。こないだ買った本をまた少し読んだ。カフェはいつも賑やかでそれも良いけれど、奥にひっそりした空間があることがあって、そんな場所が一番好きだわ。初めて入ったカフェだけど窓辺の感じがよく行くカフェにどこか似ていると思った。こんな風に新しい体験をしているのにどうして自分の古い体験を重ねたがるのだろうとよく思う。自分の知っているものに重ねて安心したいだけかもしれないわね。そこにあるそのものをただそのまま味わえたらもっと新鮮で楽しいのじゃないかと思う。だけど今までの体験と重ねる楽しみというのが確かにあるわね。(クロワッサンの美味しさは層の重なりの部分だしね…!)

Le mercredi 19 février

 掃除して洗濯してごはんを食べて、少し本でも読んだなら一日なんて本当にすぐに終わってしまう。もう一日が終わった、とかもう一週間が終わった、とかもう一ヶ月、もう一年…と言っているうちに一生なんてすぐに終わってしまうのでしょうね。

洗濯物を干している時にこないだの黒い猫がまた現れて暫く庭で寛いでいた。すぐに終わってしまう一日の間にだって、良いことも嫌なことも色々あるものね。

Le vendredi 21 février

 本当に、金銭的な問題というのは厄介よ。人間が生きるにおいて煩わされるのは大体金銭的な問題じゃないかしら。生まれてから死ぬまで金銭的な問題に惑わされずに生きられる人は沢山いるでしょうけれどそれは幸運というもので、それに関わらずに生きるというのは不可能ですからね。本当に、ただ生きているだけで金銭的な問題に関わらせられますから。今までに人間たちが金銭的な問題をうまく処理できた例があるのかしら。人間はいつから金銭的な問題に煩わされるようになったのかしら。空があって山があって木や花や草があって動物たちがいて、同じようにただその中にいられなくなったのはなぜなのかしら。何にしてもできる限り人間が金銭的な問題に惑わされない方法はあるはずだわ。自分だけじゃなく皆がね。偉い学者の人たちはそれを昔からずっと考えてきたのよね。いえ金銭的な問題に巻き込まれている皆が考えるべき問題だと思うわ。そんなことに惑わされていると、こんなに綺麗なところにいることをすぐに忘れてしまうから。本当に、金銭的な問題というのは……

Le mardi 25 février

 いつも眠る前に本を読みながら、今日も日記をつけるのを忘れたと気付く。やはり私のような人間には(人間には…?)コツコツ何かを続けるというのはなかなか難しいことかもしれない。だけどそれをなぜかとてもやってみたいと思ったのだった。何にしても続けようという気持ちが大切だわ。続けようという気持ちは確かに持っている。(と記しておくことが重要)

それにしてもなぜ毎日眠くなるのだろうと思う。眠ってどこか別のところへ行って、また戻ってきて次の日を暮らすなんてよく考えたら本当に不思議なことなのに、みんな知らぬ顔して毎日やっているわね。まあなぜとか言ったって眠くなるのですからね、これを書いている今もまた眠くなってきた。

もう一度記しておきます。日記を続けようという気持ちを確かに持っている。

Le jeudi 25 février

     今日は姪っ子が来たから、もう使わないアクセサリーをあげようと思って久しぶりにドレッサーの引き出しを開けたらやはり可愛くて、ひとつひとつに見惚れてしまった。小さい物達はやっぱり可愛い。眺めているとあの時にあのお店で買ったとか、あの人に貰ったとか、すぐに色々を忘れてしまう私でも何かしら覚えているものね。高価な物ではないけれどこういう小さな物をとても大切に思っている。かといってどれもこれも手放したくないという気持ちもないのが不思議だわ。姪っ子は私のようにこういう小さい物が大好きだからいつも本当に喜んでくれる。誰かがまた大切にしてくれるというのも素敵なことね。